まず最初に
個人的に、「問題はとりあえずは解けたらいい」と思ってます。解けもしないのに、あれやこれやと言ったところで、解けてないものは0点です。
よく考えてみたら、「0点」って悲惨ですよね。点数を積み上げていき、合格最低点に届くかどうかの勝負をしているときに「0点」て・・・
算数の問題を解くにあたり、複数の解法を学ぶことがありますよね。
「解けたらいいんだから、解法は1つでいいだろ」
解けるまではそれでいいですし、その問題についてもそれでいいと思います。
「解けた」というのは結果論
ただ、学力が上がってくると、問題解いている最中に色々と思いつくわけですよ。そのうちのどれで「解ける」かは「解けて」みないとわからないのです。算数というのは、ここで大きな苦労を伴うものかと。
全部が全部思いつく必要もないけれど、それをどうしたらいいの?というお話です。
正確には「思いつく」というより、「自然にでてくる」といったような感じになります。「解法」ではなく「糸口」といった方が適切かも。
「糸口」とやらの性質
1 誰でも思いつくけれども、手間がかかる
代表例は、場合の数の書き出しですね。もちろん、書き出すことにより正解に辿り着けるかどうかは別として、書き出すことは自体誰でもできるでしょう。もちろん、書き出せる問題であればの話です。
2 思いつきはするけれど、使いものにならない場合あり
定番の解法として知っているべきものであったり、有名な解法であったり。塾では主にこのあたりを学ぶことになるのでしょうね。使い物にならないケースとしては、やり取りの時に線分図でやろうとしたら行方不明になったとかいうケースです。
3 思いつくと一瞬で解けるけれども、思いつくのは困難
図形でいうナゾの補助線とかですね。あと超絶意味不明な立体の重なりとか。「そりゃこんなん引けたらいいけどさー」みたいな。教える側としても、「これ引いたらできるよね」みたいな教え方なんて認められるはずがないので、困ります笑
「難問」といわれるものの正体
・「図を書く」という解法は1でしょといいたい笑
図は誰でも書けますね。だから1でいいのかなと。もちろん、正確な図を書くというのは、誰でもできるといわけでもないですが、まあ書いてるうちにできるようにはなります。
・2が複数あるけれども、そのうちのいくつかが行き止まり
色々思いつきはするものの、どれも正解までは辿り着けない。「もうちょっとでできそうなんだけどなー」という悪魔の囁きも加わり、時間だけが消費されます。そのとき、唯一解ける方法だけ思い浮かばなかったとか悲惨ですよね。
・3だけしか解法がない
問題文はすごく簡単そうなに見えるんですよね。問題文も短くて、なんだかサラッと解けそうな感じ。でも、いくらやっても迷子。解答みたら、アホほど長い。
「糸口」という概念が抜け落ちてると・・・
この状態のことに多くの先生方は、警鐘を鳴らしていらっしゃるのでしょう。解法丸暗記型でしょう。「この問題はこれ」「あの問題はあれ」1対1対応みたいな。極論、経験のない問題は解けません。
解くのが爆速のお子様に、よくある現象ですね。
爆速のお子様は、問題の出来不出来がハッキリ分かれてしまいます。「できる問題はすぐできる」けど、「できない問題は全くてつかず」といった感じ。
見通しが立つ場合は、一瞬で解けてしまいますし、見通しがたたない問題はできない。段階が踏めていないため、伸び悩むことになってしまうのでしょう。