テレビ等の動画は、思考の忍耐力の育成を阻害するかも?という中で、我が家の子供たちはテレビもゲームも動画も見まくっていたけれども、忍耐力は結構ありましたという流れですね。
おそらく、色々と考えながら、動画を見てたのだと思います。
兄弟そろってで見ていることが多かったせいか、視聴中もそれぞれの見解を述べたり、ツッコミを入れたりしているのです。それこそ、ほぼ黙って見ていることはなかったような・・・頭使ってたんでしょうね。
能動的に利用するということ
以上のことから、テレビ等の動画をみるということが、必ずしも受動的になり、弊害のあるものであるとは限らないということはわかると思います。あくまで能動的か受動的かというのは、主体によって決定されるものであり、いかなるコンテンツであっても、能動的に利用するのであれば、何ら弊害の発生はないものと思われます。
では、これらの話を、中学受験のコンテンツに適用して考えてみましょう。
コンテンツの性質
集団授業の性質
「生徒全員が興味をもって真剣に聞いてくれる授業をしよう」
これは講師全員が理想とするところであり、日々を実現するために努力されていることでしょう。ただ、どうしても生徒が多数になると、レベル差が発生するのです。とあるレベルの子にはピンポイントなものであっても、他の子にとっては退屈なものであったり、ついていけない場合はその場にいるだけのものになったり。
レベル差を原因として、どうしても受動的な部分が発生してしまいますよね。
動画コンテンツの性質
それでは動画による学習はどうでしょう。おそらく、対面で行われる集団授業よりも受動的な面が増えてしまいますよね。それは、目の前に生徒がいないから。コンテンツによっては、集団授業よりも多数を対象としているため、さらにレベル差は広がります。
説教
なんか思いついたので、「説教」とやらも追加しておきます。こんなもの、聞いているわけがありませんね。下手したらただの騒音です。しかも、能動的に説教を利用しようなんてことありません。それなら、はじめから説教されないように行動してますから。
結論
どんなコンテンツであっても、能動的な利用が重要ということです。「頭をつかえ」というのは、「自らが主導権をもって、そのコンテンツを利用する」ということになります。
具体的には、授業中の質問であったり、動画の一時的・巻き戻し・倍速再生等にあらわれるのでしょう。