中学受験に関して、それぞれのお子様に対する接し方って、何が一番近いのかなと考えていたのですが、当然のごとくマネージメントなんだろうなと。それぞれの役割が明確になってから、それをやり遂げる覚悟をしてくださいという話になります。役割が決まっていない状態で、覚悟はできませんよね。
多数の中から少数派になるために、あらゆるものを投入して、合格を勝ち取る。弱冠10歳前後のお子さまにこれらのことをすべて任せるのは負担も大きいので、保護者なり講師なりがマネージメントするわけです。
これらをすべてお子様に負担させ、合格するための戦略の構築(受講後の宿題のスケジュールや問題の選択等)から、勉強に付随すること(プリントの整理等)すべて自分でやらせるのは、無謀だと思われます。
役割分担の重要性
何か物事を成し遂げる際に、明確な役割分担というのは著しく重要なものとなります。明確な役割分担がない状態で起こりうる最悪のケースというのは、異なる見解を聞かされ混乱するということや責任のなすりつけ合いです。
「がんばって」「がんばらなくていいんだよ」、「算数やれ」「国語やれ」、「面積図で解け」「てんびん使え」
全く違うことを言われるのは迷惑です。
あとはキャパオーバー。あれもこれもってできるわけがないんですよね。「まず1つのことをしっかりと仕上げる」これがどの世界においても最良で最速の手法であることも間違いないでしょう。
役割分担の主体と内容
まずは、家庭と塾とあと小学校。ほとんどがこれ以上でもこれ以下でもないかと。
家庭ではしつけを学び、学校では集団の規律を学び、学習塾では受験勉強を担当するのが、役割分担としては美しいところかなとは思っております。
柔軟な対応
そうはいうものの、役割分担に基づいて厳密な運用をした場合、時間的ロスや本来であれば可能であったことが不可能になりますね。そういうときのために、柔軟な対応というのは重宝されます。例外的措置としての柔軟な対応は善ですが、例外的措置がいつしか当たり前の対応となってしまうと、役割分担が根底が覆されるので、無意味なものとなり下がります。
権力・裁量は、一か所に集中させる方が物事の処理速度は上がりますが、濫用の危険性が高まります。独裁国家に対する三権分立がそうですよね。かといって、あまりに分散させると運用効率が下がります。
厳格な運用
家庭の事情はそれぞれ違うものであるのは当然のことで、家庭の内情については、家庭においても把握されていないことが多いのです。
それを外部の人間である我々が把握することなど、不可能であることは当然であり、把握しようとする方がどうかしていると思われます。
したがって、我々は原則に戻り、受験勉強のサポートに特化することにしました。
どうしても、お子様がされることですので、家庭の事情というものを考慮しなければならないケースはあるものの、それについては客観的に作られたシステムの運用により解決します。
受験勉強に関して意義のあるシステムを構築し、徹底的に厳格に運用をすることが我々の責務なのでしょう。もちろん、状況をみながら若干の修正をするケースもありますが、それすら必要がないほどに合理的なものにする必要があるようです。
そうして出来上がったシステムを運用するのは人間であり、それには精神力が伴わなければなりません。子供たちには、「精神力が重要だよ」なんて言っても伝わりにくいと思うので、我々の行動から、伝わってくれることを祈っております。
時代と共に変わるものと変わらないものがあって、変わらないものについては、徹底的に守ることが求められるのでしょう。
このあたりについては、学問の本質とも関わってくるのでしょうね。
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