中学受験において見かけることのある、牧歌的に映るであろう光景に隠されているもの、そして神経戦

関西圏の中学受験で、入試会場への受験生の送り出しに関する、前回の投稿を踏まえて、お読みいただけると幸いです。

さて。

一定以上の人数を、それなりの学校に送り出す学習塾の間では、講師同士が、個人的に親しいケースが、まま、あります。そして、その講師同士が、それぞれ、相手の塾が、どれだけの人数を受験させたかを把握しようとして、うちは何人受けたけど、そちらは何人ですか、というような情報交換することも、当然、あります。

ここで問題になるのは、交換される情報に、とんでもない偽りが、意図的に混ざってくることがある、ということです。

例えば、A氏とB氏の間で交換された情報と、AA氏とBB氏の間、AAA氏とBBB氏の間でそれぞれ交換された情報に、天と地ほどの数字の開きが出現することがある、ということです。

数を読む、という習慣は、こういった誤情報を、ある程度まで防ぐために、自然発生的に始まったものでもあります。

ちなみに、かくいう私は、間違った情報を伝えたことも、間違った情報をつかまされたこともありませんが、誤情報をつかまされた人々から、絶対違う、と、何度も嘲笑されてきた苦い経験を持っています。

誰が正しいのか、ということについては、最終的には、時間や現実が証明してくれるわけですが、なにゆえ、毎年毎年、懲りもせずに、偽情報をつかまされてくるのだろう、この人たちは、と、同僚の行為や精神状態に疑いを抱いていたことは事実です。

信頼し合っている個人同士を仲違いさせるための離反作戦、ということなのかもしれませんが、その手の神経戦に血道をあげるような手合いが、一時期、非常に多かったように、感じています。

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