最近、身の回りで「覚悟」という言葉をよく聞く機会がありました。同時に、それに関連する事項がありましたので、記事にしておこうかと。
中学受験に関与する人々の覚悟とは
受験生
中学受験においては、まだ10歳前後。そんな子達に覚悟というのも無茶な話でしょう。とりあえず、目の前のことに一生懸命取り組めばそれで十分ですね。そもそも、小学生が「学校でみんながするから」という理由であったとしても、保護者以外の影響で、自ら中学受験をはじめるというケースは少ないでしょう。自分から始めたものでないものに対して、覚悟を求めるというのどうなのかなと。自分で始めた場合は、立派なお子様ですよ。きっとできると思いますので、覚悟もしてもらってください。
保護者
子供に対するサポートです。「お子様が勉強するための環境づくり」のただ1点かと。具体的には、塾代を支払うとか、プリントの整理をするとか、お弁当を作るとか、そういったことです。単に目的の達成のみを考えた場合、「お子様が勉強すること以外のすべて」を行うことなのでしょうが、日常生活に最低限必要なことは、自分でしてもらいましょう。今後の生活に支障をきたします笑
ここで気になるのが、近年よく使われる「自走」という言葉。「一人で勉強する」「自ら勉強をはじめる」という意味合いのものであって、決してすべてを子供任せにして、保護者が責任回避するためのものではありません。このあたりは混同されている方が多いような気がします。
講師
講師の仕事は教えること。これに尽きます。
その上で、わからないことは「わからない」、できないことは「できない」と正直に言えることかとにいより、「できること」が意味を持ちます。最悪、誤魔化したら最後、子供達は一瞬で見抜き、信用は失墜します。自らが「面倒を見切れない」生徒は、即座に手放すことが覚悟の一環でしょうね。
経営者としての覚悟
端的にいうと、秩序保持です。教室という閉鎖的な空間における、すべてものの調和です。
これを具体化したもののが、規約であったり、労働契約書であったり、システムの構築であったり、経営判断であったりということです。
個人的には、早さ重視であることから、いかにシンプルにして、効果を出すかだけ重視しております。
まとめ
結局のところ、「覚悟」というものは、すべてを捨ててでも1つのことをやり抜こうとする意思のことなのでしょうね。極端な例として「家庭が崩壊してでも合格すべきである」とは考えませんが、少なくとも中途半端だと、得られるものはほぼないでしょう。
中学受験の一次的な成果は間違いなく「合格」です。
もし万が一その結果を得られなかったとしても、何らかの成果を残すために必要なことは、それぞれの立場における覚悟だと思ってます。