子どもがわからない問題で詰まっているようなので、解き方を説明しようとすると怒り出します。助けようとしているのに、なぜ怒られるのかわかりません。教えることをやめると今度は放置しているようで罪悪感があります。
これらの悩みのほとんどは、家庭が学習に関与しすぎることで起きています。
クリエートベースは、保護者が学習に介入しなくていい設計になっています。
子どもが怒る理由は一つではありません。まず確認すべきことは、親自身がその問題を解けるかどうかです。ここで分岐します。
解けない人間に教わることを、子どもは本能的に拒絶します。特に問題になるのが「解答を見てわかったような口を利く」パターンです。解答を読めば誰でも説明はできます。しかし子どもにはわかります。自力で解いた人間と、解答を見た人間の説明は、言葉の質が全く違うからです。人間は本能的に、理解していない人間とは関わりたくないものです。
解ける場合にも、子どもが怒るケースがあります。一つは態度の問題です。「解けるからといって偉そうにするな」という反発で、これは教える内容ではなく関係性への抗議です。もう一つは、解けることと教えられることは別の能力だ、という問題です。自分では解けても、どこでつまずいているかを把握し、その子に合った説明ができる人間は少ない。解けるだけでは教える実力とは言えません。
「優しく教える」「一緒に考える姿勢を見せる」「動画を見せてから補足する」といった対処が紹介されることがありますが、いずれもパターンAには通用しません。解答を読んで理解したふりをしている限り、どれだけ優しい口調で説明しても、子どもの「おまえがいうな」という感覚は消えません。
パターンBについても、態度を改めれば解決するケースもありますが、教える実力の問題は態度では補えません。どこでつまずいているかを正確に把握できていない親が丁寧に教えようとすると、的外れな説明を丁寧にされるだけになります。
解けない親は、教えることに関わるべきではありません。害悪です。解答を見て説明しようとする、一緒に考えるふりをする——いずれも子どもの時間を奪い、誤った理解を植え付けるリスクがあります。「わからないから塾で聞いてきなさい」と言える方が、はるかに誠実です。関わるとしても、漢字や語句の暗記を一緒にする程度にとどめる方が、まだましです。
解ける場合も、教えることが子どもの自力で考える機会を奪っていないかを確認する必要があります。詰まっているからといって即座に介入するのではなく、どこまで自分で考えたかを先に確認することが、教える前の最低限の姿勢です。
中学受験の算数は、多くの保護者にとって初見の解法が含まれます。解けない問題を教えようとすること自体、無理があります。教える役割は塾に任せ、親は子どもの状態を把握することに集中する方が、分担として合理的です。